昭和42年03月07日 夜の御理解



 今日午後からで御座いましたが、何かこう祝電の電報がまいりましたから、何の事だろうかと思うて見ましたところが合格おめでとうと。本当に良かったねと大久保たかしという電報が参りました。これは勿論私の事だと思ったんですけれども、大久保先生というのは、古賀先生の師匠にあたる先生なんですね。頭の白いお爺さんなんです。あちらから来ると言う事は、本部からでもなからなければ教務所からでもない。
 ですからいうならば内報の、内報の様なもんですね。けれども見ますと金光から打ってございましたです。ですからああいう偉い先生ですから、本部教庁の方にわたりがつくのですね。ですからお聞きなったところを、こうやって電報を下さったもんだと思うのでございますが。本当に永年永年皆さんが、一生懸命検定によって教師の資格を頂きたいという十六年来の、皆さんの願いがここに叶うたことになります。
 それが検定すら受けると言う事が許されなかったのが、検定を受けられるというお許しを頂いた訳なんで御座いますけども、然もそれがおかげで合格のおかげ頂いたと。私があの検定の試験が受けられる様になったという時に、久保山先生と原さんが帰りながら、本当におかげ頂いて良かった。今度親先生が検定を受けられる様になられたというて、その自転車の上でお話をしておいでられたら、久保山先生が嗚咽してからですね。
 もう泣き出しながらもう本当に原さんこげな嬉しかこつはなかと言うて、帰られたということを思い出させて頂きましてですね。もう本当にこれはもう、本当の話しなんですけども。私は、どうーでもいいんですよ。もう楽なことです。けれども、その皆んなそういう様な一生懸命の、その、願いというものがね、ここに成就した。もう今日は、私、久保山先生の霊に、一番口にそのことをご報告させて頂いたんですけれども。
 本当に御本部にまいりました時に、その参りました翌日、だから一晩泊まって翌朝、久富繁雄さんが頂いとられます様に、麦のご飯が二つにおひつにこうおちってあってね、あのことを頂かれた。御神意を頂いたら、神と氏子がままになるのぞという事を頂きましたがですね。今日も、皆さんが、まあだ、私が発表しませんけれども、聞き伝えてから、先生合格おめでとうございますとこういう訳なんですよ。
 ですから私も皆さんおめでとう御座いますというわけ、有難う御座いますという気になれないんです私は。皆さんがおめでとうございますなら、私もやっぱりおめでとうございますなんですね。何故かというと、これは神の願いであり氏子、椛目の信者総員の方達の願いなんですから。ははぁこのことであったということですね。神の願いが成就した。神と信者氏子の願いが、ここに、例えば成就したという。
 これは確定したお知らせを頂いたわけではないですけれども、ほぼ大体その確実なところから、こうして祝電が来とりますところから見ますとですたい、そういう風に感じるのでございます。ですから本当にこの神様と氏子の願いが、ここに成就するというおかげ。これは、合楽の御広前御造営のことにおいても同じことなんですよ。ですから神様がなさることじゃから、どげんかなるじゃろうといった様なものでは、けれどもあいよかけよの働きにならないことが分かりますですね。
 皆んながどうでも、家の親先生に教師の資格をとってもらいたいという、切実なる願いと、神様の切実なる願いというものが、一つになる時にです。願っても願ってもままにならんけれども、願ってそれこそ体当たり的に、御本部にも皆んな行かれたりして、そのされたのがここに成就して、そして今日でなからなければいけなかったということが、色々分かるでしょうが。
 例えば、親先生が教師の資格を取られた。教師の資格を取られたら、もうあちらに、それこそ、ここ辺でかって見たことのない様なお広前が、ちゃんと新築御造営が出来ておると。教師の資格を取ると同時に、ああいう御広前の御用奉仕がでけるという、そういう神様の願いがあるんですよ。そういう願いが、いくらあっても、ほんなら、信者氏子の願いというものが、切実でなからなければ。
 ここに、こういう様なおかげになってこないということをです。思います時にですね。これは私共の銘々の上においても同じことなんですよ。氏子神様の願いというものがです。氏子信心しておかげを受けてくれよと仰るのですから、これが、神様の願いなんです。ですから、氏子が信心してということになってくる時にです。始めて神と氏子とが、ままになるという様なおかげになるんですね。
 まぁ今日は、手放しに喜べることではございませんです。教師になればなったで、又、大変な問題があることは間違いないのですけれども。今迄例えば椛目は闇だといった様な風に表現されておったことがです。いうならば堂々として教会として、又お道の教師としです。お取次が出来れる様なおかげを頂けたという。椛目が一歩前進したという感じでですね、頂くんですよ。皆さんの信心もどうぞ、そういう様な意味合いにおいて、進んでいかなければならんと思うですね。
   どうぞ。